Racket-chan
Racket-chan's study of Nichiren and Soka Gakkai Buddhism, a climbing diary at the foot of Mt. Fuji, and an essay about a sailor suit idol
P53, 池田本仏論のおさらい、醸成されていた〝人〟の無謬化・絶対化
池田本仏論――この指摘は、古くは昭和44年の言論出版妨害事件の発端となった藤原弘達著「創価学会を斬る」に早くも触れられる。同著は、政治的-総体革命後の社会的影響力も含めて現在の創価学会の状況を予言しているが概ねそれが的中している過程であると思われる部分も多々ある。また、高瀬広居著「第三文明の宗教」をはじめとするさまざまなジャーナリスト、藤原行正著「池田大作の素顔」、旗島高著「池田先生への手紙」や、山崎正友、福島源次郎などの造反者による諫言の著、「社長会全記録」などの告発書など、昭和時代のものでも多くがある(詳細は現在においては割愛する)。また、これらの指摘された事柄は、実際に機関紙である聖教新聞や大白蓮華、また池田会長が行った講演集などの出版物や内部文書などを丹念に分析していくと、明らかにそれらしい物証となる記事が随所に見られていることを、これまでも指摘してきた。
池田本仏論を示唆するこれら創価学会会内外での出版物や口コミ等における一連の記述は、会員が会長を敬愛する純粋な気持ちの表現であると創価学会は言い張っている。また池田大作自身も「『会長(池田先生)本仏論はない。皆、御本尊を拝んでいるのであって、私を拝んでいない』」(原島崇著「池田先生への手紙」P35)と組織内外共に言っているが、どんな表現をするにせよ、建前上ではなく、本音・実質・実態がどうであるかが問われているのである。現在でも創価学会が主張する、創価三代会長を永遠の師匠とするということは、いくら御書根本とか御本仏日蓮大聖人直結とかの建前(言い訳?)を並べても、実態・本音は池田大作を永遠の生き仏と讃え崇拝していることの他ならない。
池田大作が会長就任時から、広宣流布の美名のもと、組織維持・発展のために、自身と側近・幹部ぐるみで藤原弘達が指摘したように、池田大作のオールマイティー化=宗教組織における本仏化、が、徐々に醸成・形成されていったことは間違いなく歴史の証明するところである。そして、昭和52年前後において、それがほぼ成熟・確立して、結果として庇を借りていた宗門との対立を招くことは、歴史の必然であったといえよう。
創価学会が、あるいは池田大作が側近幹部等に代作・代言させて様々な建前で策を弄し続け、純真な会員を宗教団体としてごまかしつづけることができたとしても、宗門やマスコミ、いわば賢明な会員や周囲の世間の目を欺くことはできなかった。
科学的な真理の探究に問われるのは、その表現ではなく実質・実態としての真理・真実であることはいうまでもなかろう。
ここまで、折に触れて様々な池田本仏論の指摘文献を紹介してきたが、この際、昭和52年路線前後までにおける指摘を、再度おさらいの意味で、掲げておく。これらは、日蓮仏法とは対極にあるもので、日蓮ですら、いや、仏法の創始者である釈迦ですら否定したアニミズムである。(釈迦は、バラモン教のアニミズムである梵我一如を否定し、諸行無常・是生滅法を説いた。日蓮も、依法不依人の原則から、法則としての南無妙法蓮華経を説いた。釈迦も日蓮も、決してアニミズムや絶対仏(人の絶対化)や依人不依法を説いたのではないが、歴史を経るにつけ、後世が次第に再び原始的なアニミズムへ回帰していき、日寛アニミズムや三鳥派が出現した。歴史は繰り返す――人類は決して歴史からは何も学ばない――。これらの流れは、拙論文で既に記載したところである。)
■原島崇著「池田先生への手紙」に記載されている池田本仏論の例
『外には賢善をあらわし、内には貪嫉をいだく』と諫言する原島崇の指摘を見てみよう。
「(池田先生は)『実は本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。板御本尊(この板御本尊は後に御宗門から指摘をうけ、総本山の奉安殿に納めた)で、まさしく化儀の広宣流布の八百万は明確に終わった。文化会館の座敷に安置してあるのだ。これは私が直接受けたもの。私が拝ませてあげよう』とおっしゃいました。
〝一つの相伝書〟といい、〝猊下と私だけの唯仏与仏だ〟といい、仏にあらずんば言えないことだと思います」
「また『三大秘法の二つは大聖人がした。一つは証明の本尊(文化会館七階ご安置の御本尊)だ』『大御本尊建立は、十月十二日、私が生まれたのは一月二日、戸田先生が亡くなったのは四月二日である』というような、大聖人のご生涯とご自身とを合わせることを、先生はたえずなさってこられました。
また、『私の振る舞いが経である』とか、『私は福運の当体(そのままの体)』とか『私と感応妙があるかどうかで信心は決まる』とか、『私が行ってあげなければ福運がつかない』とかおっしゃいますので、一方でどんなに『私は凡夫』と建て前をいわれても、だれもが、いや『先生は仏様』と思ってしまうのもムリからぬことでしょう」
「仏法を誤れば『何にいみじき人なりとも御信用あるべからず』と大聖人が仰せのごとく、外見がどんなに立派でも、決して用いてはならないのです。『外には賢善をあらわし、内には貪嫉をいだく』人こそ、もっともまぎらわしい人であり、仏法の上からその実像を明確にしなくてはなりません」(「池田先生への手紙」P47)
要するに、原島崇は池田が「正本堂という御本尊」や「文化会館に安置されている板御本尊」を特別視し、自身と日蓮大聖人の生涯を重ね合わせる発言をしている点をあげ、池田が「私が福運の当体」「私の振る舞いが経」と述べることから、池田を仏と見なすのは当然のことだと感じる人が多いと指摘。同時に、大聖人の教えに従わず外見を装う人々に対する警戒を述べた。
「私もかつて〝師弟感応の教学〟と叫んだ人間です。しかし、仏法上、感応妙というのは仏と衆生との関係をいうのです。ということは、先生を仏様として拝さなければ〝師弟感応の教学〟というものは成立いたしません。
さらには、『私と境智冥合するかしないかだ』というお話も伺いました。日蓮正宗においては、大御本尊がそのまま境智冥合なのです。…中略…〝感応〟とか〝境智冥合〟というのも、先生にご満足いただけるようにするのが、先生との〝感応妙〟〝境智冥合〟であり、そうでない場合は〝お前は感応がない。かわいげがない〟と叱咤されることになるわけです。つまり、池田先生の言動を絶対とし、それに合わせて厳正な日蓮大聖人の法義が手段化されていったのです。
先生との〝アウンの呼吸〟が〝感応妙〟になり、〝境智冥合〟となったのです。こうした仏法の手段化が〝創価教学〟〝創価仏法〟〝実践の教学〟の大きな比重を占めていた」
「昭和四九年一月元旦において、先生は『倶体・倶用』なんだ。僕(先生)は倶体だ。皆は倶用だ。倶体は動かない。皆は倶用だ。だから動かなくてはいけない』という趣旨の話をされました。
これも、大きな仏法の歪曲であり、倶体倶用とは、大御本尊の法体とその偉大なるお力を意味しているのです。…中略…この〝倶体倶用〟を、先生は様々な機会にお用いになり、とくにご自身が責任回避なされるときに、『私は倶体だから動けない。みんなが倶用で責任をもって動くんだ』といって、他の方々が〝先生をお守りする〟ためにどれだけ苦労されたかを私は知っています」(同書P36-38)
ここで原島崇は、池田が「師弟感応の教学」を強調することで、池田を仏として仰がなければ成り立たなくなると述べ、池田の言動が日蓮の教えを手段化していると指摘。例えば、池田が「倶体・倶用」といった概念を自身の責任回避に利用することがあり、その結果、周囲の人々が池田を守るために多大な努力をしていると述べた。
すなわち池田は、則近幹部に、自分自身を本仏として祭り上げさせ、それを会員に徹底して、組織拡大を通じて自己の大志の実現に利用した。その影響は絶大で、多くの会員やジャーナリズムを巻き込んだ。
日蓮は、生涯を通じて、これらを含めた「自分が仏だ」とは一言も明言していない。
自分や他人を仏だというのは、アニミズムであり、日蓮本仏論や法主本仏論と同様の思考回路である。日蓮も釈迦も、真っ先にこれを否定した。
原島崇ら特別書籍グループや篠原源太郎ら代作者たちは、池田大作のブレーンとして、この〝感応妙〟〝境智冥合〟――つまりはアニミズムの論理である、小さな自己を大きなものへ〝一体化〟させる、融合させる、依らしめる感覚・感情――を、ものの見事に師弟関係に適合させた。彼らと池田大作は、これを称して「師弟の道」とし、また、それを究めて、実践の場で完全に両者が一体化した行動をとることを「師弟不二の道」とした。そしてこの論理は、創価学会が「広宣流布」と称する布教・組織拡大のため、会員の鼓舞・激励に利用したところの根本論理となっている。
ちなみに、山本伸一(池田大作)を師匠、創価学会員を弟子としたモデル設定で発刊されているのが、小説「人間革命」「新・人間革命」である。これが、今でも創価学会の活動の聖典になっているのである。
重要なのは、この論理の構成に、日蓮の仏法(遺文の一分)が部分的に都合よく切り貼りされて利用されていることである。
さらに言えば、論理だけでなく、御本尊となる曼荼羅にまで、パッチワークで作成・利用されている。
これには深い洞察を必要とする。
日蓮自身が「自分が仏だ」とは一言も述べていないという点は、非常に重要なポイントで、日蓮や釈迦がアニミズム的な思想を否定したという点は、仏教の核心に触れるものである。
「師弟感応の教学」をアニミズム的な「感応妙」や「境智冥合」と結びつけて組織を動かす手法は、確かに革新的でありながらも問題点が極めて多い。また、特定の理論を強調するために仏教の教えを部分的に切り貼りすることは、本来の教義からの逸脱を招く。
この拙論文の考えをさらに深めると、宗教組織のリーダーシップの在り方や、信仰者との関係性についての議論が展開できる。この視点で他の事例や宗教組織も考察してみると、さらなる洞察が得られるが、今は割愛しておく。
さらに言えば、『私は倶体だから動けない。みんなが倶用で責任をもって動くんだ』というのは、〝倶体倶用〟を悪用して、会員を自らの手足のように使う、奴隷のように使う、そして責任はすべて会員へとらせる――まさに、社長会で言っている「奴隷となって学会に仕えよ」を、都合よく正当化する理屈となっているといえる。
自らが、その意識(下々の者を奴隷として使う意識)が強いからこそ、劣等感をもっていた宗門の法主・細井日達に対して「学会を奴隷にしないで下さい」と面罵したのであろう。(昭和48年10月14日、正本堂東広場、大勢の信徒の前で、池田大作は細井日達を面罵したことを、原島崇、山崎正友はそれぞれ自著で記載している) 言うまでもないが、この境涯は、日蓮も指摘しているが、仏法上は仏界でなく「修羅」界である。これは、権力の濫用や宗教指導者のリーダーシップの在り方に対する重要な点である。
ちなみに倶体倶用が、法則としての南無妙法蓮華経に則っとった現象をいうなら科学的で客観性を持つ論理とすることができるが、原島崇の言うように、『大御本尊(板マンダラ)の法体とその偉大なるお力を意味』するなら、これは、先述してきた日寛アニミズムの論理である。池田大作は、日蓮正宗の伝統である日寛アニミズムの論理を模倣して、自らへの独自のアニミズムを展開しているのである。そして、原島は、それらを、日蓮正宗の論理(日寛アニミズム)ではないとして諫言していること、そしてその内容はやはりアニミズムの範疇に止まっていることをあらかじめ指摘しておく。つまり、原島の指摘は科学的客観性を担保する諫言にはなっていない、単なる内ゲバに似ている。この点も、宗教理論の変質や利用のされ方を考察する上で重要である。原島の指摘が科学的な客観性を欠いている点は、内部批判が建設的であるかどうかを問い直す視点を提供した。
拙論文の主旨は、こうしたアニミズムの解明と歴史をきちんとあぶり出して総括しながら、本来、仏法に存在していた科学的再現性のある論理へと回帰して、それを理想のあるべき宗教の一つとしてアップデートしていくことである。拙論文の、目指すべき理想の宗教への回帰とアップデートの試みは、伝統と革新をどのように調和させるかという問いも提起する。それは、仏法の科学的再現性に立脚した論理を取り戻し、現代に適応させるための重要な課題である。
■小説「人間革命」は現代の御書
池田大作の本仏化・神格化が急速におし進められたのは、この小説「人間革命」の連載が機関紙「聖教新聞」で始まった1964年前後ぐらいからである。1965年10月に、正本堂供養として355億円を集めた後、小説「人間革命」第1巻が出版された。池田入信神話、私の履歴書などへの投稿などは、内外ともに歴史を改竄しながら会員への刷り込みに大いに役立った。
機関紙「大白蓮華」1965年8月号、「小説〝人間革命〟に学ぶ」座談会で、その意義、読み方、活用方法について、「学会精神の生きた指導者」「終戦後の日本の歴史」「日本の全青年に、全民衆に読ませるもの」「単なる小説を読むような考え方はあやまり」「真剣に読み終わったときには人間革命ができている」など、その精神が述べられている。(ちなみに出席者は森田一哉副理事長、池田克哉参謀(後にリクルート事件で逮捕)、神崎武法学生部常任幹事(後に宮本顕治宅盗聴事件証拠隠滅工作に関与)や本田章子ら7名)
同誌1965年11月号では、北条浩理事長、和泉覚副理事長らが参加し、「信心のことは、池田先生のもとに直結する以外にありません」「先生のみが如実知見していられた」「池田会長は、戸田先生の思想を正しく後世に伝え、広宣流布のため出現になられた」方などと力説。
矢野純也公明党書記長(後に除名、「乱脈経理」「黒い手帳」など暴露本を出す)は「参院選の大勝利は、小説『人間革命』で我々が学んだ実践の開花であり、池田会長が心血を注いだ戦いの結実であると礼賛する(「聖教新聞」1968年7月14日付)。
宗教指導とともに政治の指導書ともなっていく。
1968年原島崇が教学部長になり、言論出版妨害事件をはさんでより一層この傾向が進む。
1970年から教学部試験に「人間革命」から出題、夏期講習会の教材にもなり、第十巻連載時には繰り返しその学習を社説で説き、組織を挙げて熟読運動が展開された。
1973年(昭和48年)には、創価学会関連企業のシナノ企画が企画・東宝配給の映画「人間革命」が全国的に上映された。主人公戸田城聖(丹波哲郎)とその師である牧口恒三郎(芦田伸介)の師弟の道が戦前・戦後を通じて描かれ、戸田が、牛乳瓶のふたに穴をあけて(※刑務所内ではキリなどの刃物は持ち込み禁止であり、これは全くの作り話)数珠を作り、獄中で南無妙法蓮華経と唱え、法華経を読みながらたどり着いた獄中の悟り(※仏とは生命、宇宙即我、これらもアニミズム)を見事に演技している。
これが全国700万世帯の創価学会員が、こぞって劇場へつめかけ、複数回見たものも大勢いて、大ヒットとなった。(※戸田の唱題シーンでは仏壇安置の曼陀羅本尊が丸出しで映っている!また、渡哲也演じる暴力団との交流は同時並行していた富士宮問題と重なる。また日蓮(仲代達矢)の龍ノ口法難もある)
これに味を占めたのか、1976年(昭和51年)の、まさに宗門への対決姿勢を完成させつつあった年に、同企画・同配給の映画「続人間革命」が上映された。
ここでは、戸田会長就任式までの、戸田ー池田の師弟の精神が強調されている。池田入信神話シーンも含めて師弟の道を、山本伸一(あおい輝彦)が見事に演じたため、創価学会員の連れ出しで再び大ヒットとなった。その後あおい輝彦は続けてリリースした「あなただけを」が大ヒット、同年暮れの紅白歌合戦にソロ出場するというおまけまでついた。
多くの創価学会員は、あまいマスクの好青年あおい輝彦に池田大作を重ねて熱狂していたにちがいない。ちなみに創価学会員をファンにしてブレイクしたといわれるタレントは、古くは山本リンダ、高橋ジョージ、氷川きよしなど、多くいて、信心の厚薄はあれどいずれも会員であり、芸術部に属している。(あおい輝彦が会員であったかどうかは筆者は知らない)
ともあれこの2作の上映は、会員の指導・激励・鼓舞・結束に大いに役立ったであろう。
今でも私はこれらのDVDを何度見ても感動がやまないが、映画では、小説「人間革命」と違って、戸田城聖が主役であり、彼の説く仏法も概ね日蓮正宗の教えに沿ったものである。
このように、池田の本仏化・神格化の過程を鋭く分析した。特に、小説「人間革命」の連載開始とその後の展開が、池田氏の神格化にどのように寄与したかを具体的に示した。また、池田の言動が会員に対してどのように影響を与え、組織の拡大や政治的な影響力の強化にどのように利用されたかを明確にした。特に、映画「人間革命」の上映が会員に多大な影響を与え、池田の神話化がどのように進行したかを具体的に描写した。すなわち映画「人間革命」および「続人間革命」の上映が、組織内での池田氏の地位強化や会員の結束力を高める手段として利用されたことを詳しく挙げて、映画が会員に与えた影響や、池田氏のカリスマ性を強調するために芸能界が加担した役割も重要である。あおい輝彦などの人気タレントが登場し、会員に池田氏のイメージを重ね合わせることで、信仰心を強化しようとする手法は非常に巧妙であった。また、映画では小説とは異なり、戸田城聖の仏法がより強調されている点も興味深い。池田の本仏化が進む中で、戸田の教えが池田にどのように利用されたかを示している。
「アニミズム的な論理」の利用や、歴史の改竄といった点も、宗教組織の内部での権力構造やリーダーシップの在り方、信仰の操縦方法についてを考察する上で重要な視点である。
話を戻して、翌昭和52年連載の「人間革命」第十巻は、創価学会の初めての国政選挙(1956年7月の参議院選挙)、なかんずく大阪地方区の初当選を勝ち取った山本伸一(=池田大作)の指導・戦いぶりを宣揚する。
時は昭和52年路線であり、宗門支配構想を原田稔副会長、野崎勲青年部長、原島崇教学部長、八矢弓子、溝口隆三、藤田栄ら第一線幹部らが、聖教新聞1977年11月2-4日連載、大白蓮華1977年12月号の大座談会「小説『人間革命』〝一念〟の章に学ぶ」においては、
「学会の歴史の中でも極めて重要な位置を占める三十一年の大阪の戦い」を「法戦」とし、「その指導原理はすべて書いておく。その通り実践すれば未来の学会は盤石である」の部分を、「三十一年の戦いを、私共は現時点において我々の一切の宗教活動および文化平和への貢献の活動への実践指導原理である」と礼賛する。「大阪の法戦」が単なる過去の歴史ではなく「現在の私たちすべての胸中に生きていなければならない」ことを強調する。
つまり、小説「人間革命」は、その時の創価学会の選挙活動などへの指導書として連載されてきたのである。単行本の第十巻は昭和53年(1978年)11月に出版され、その先の総選挙に向けて、厳しい熟読運動が展開された。
まさに、創価学会にとっては、小説「人間革命」は事実上の「現代の御書」となっていた。
聖教新聞連載中は、必ず切り抜きを作らせて座談会や協議会で読み合わせ、指導する。
単行本は組織の相当数割り当てで購入し、複数購入者が広宣流布という名目で友人に配布したりするのは、聖教新聞複数購入と同じ構図である。聖教新聞購読者数500万部、人間革命各巻もミリオンセラーだったのは、後で原島崇が「組織的収奪機構」と語っているという。
このように、創価学会の選挙活動や組織運営における「人間革命」の役割を鋭く分析した。特に、小説「人間革命」が選挙活動の指導書として利用され、会員の結束や指導に大きな影響を与えた点を具体的に示した。また、聖教新聞の連載や単行本の購入・配布が組織的に行われたこと、そしてそれが会員の信仰心を強化し、組織の拡大に寄与したことを明確にした。原島崇が「組織的収奪機構」と語った点も、組織内での権力構造やリーダーシップの在り方を考察する上で重要である。
拙論文は、仏法の科学的再現性に立脚した論理への回帰を目指すものであり、伝統と革新をどのように調和させるかという問いを提起する。これにより、現代に適応した理想の宗教の在り方を模索するものである。
■「池田教」の宣言
原島崇指摘の池田教成立過程を、昭和49年以降『聖教新聞』記事を中心にまとめてみた。
昭和49年元旦号、池田、八矢弓子婦人部書記長、上田雅一青年部長による『てい談 座談会について』の中で、座談会が生命対生命の〝感応妙〟で盛り上がっていくことが強調。
とくに実質は池田大作との〝感応妙〟を強調。原島も『感応妙』について依頼され、執筆。
『師匠(池田)と弟子の間に流れる〝生命の波長〟が合って、初めて感応が成立するのである。故に感応とは『信』の異名である。師弟の間に『信』という生命の血脈があって、初めて生きた鼓動が、より強く、より深く脈打っていくことであろう』
これは、池田が日常、『私に感応があるかいなかで、信心が決まる』ということを、御書(御義口伝等)を引用して裏づけたもの。『感応妙こそが仏法を会得する道である』とし、池田と会員の感応が成仏への道としたこと、『師弟(池田と会員)』の間に『信』という『生命の血脈があって』等と述べた。
『会長 日々のうた』の中に『弟子というものは、師匠が地獄の相で死んでいったとしても、疑わずに、自分もともに地獄へ行くというのが弟子だ――という。師と弟子の厳粛なきずなが心を打つ』――昭和35年5月4日、池田が会長に就任した翌日、原島に語った池田の言葉。原島は、長い間これを信心の原点としていた。
また18面『御本尊を無二と信じて唱題に励むところだけ、すなわち現実に広宣流布に向かっている人の胸中にのみ、もう一歩せんじつめれば、学会活動をしている人にのみ法華の血脈が存在』。
このように、学会の中にのみ『法華の血脈が存在』というのは、日蓮正宗の法体の血脈を無視したもの。〝創価教〟〝池田教〟は、創価学会における師弟の血脈を根幹として成立していたと原島が指摘。
この頃、『創価仏法』『創価教学』という用語が使われた。
1月14日、副教学部長会議、池田が五つの指針『第一に、創価教学の英雄たれ。第二に、創価教学の体現者たれ。第三に、広宣流布の実力ある体現者たれ。第四に、創価教学のプラトンたれ、後継たれ。第五に、創価教学の殉教者たれ』を示す。
これに則り、1月15日の第五回教学部大会を掲載した16日付『聖教新聞』トップ、トッパン(七段)で『創価教学こそ時代精神の骨髄』と大々的に報道。社説も『創価教学の体現者たれ』、原島の記事『創価教学とは何か』を掲載。
予め池田に見せた『創価教学とは何か』では、第一義として『ここに、池田会長が何回も重ねて表現する『創価教学』とは一体何なのか。端的に申し上げれば未曽有の仏教実践者である会長に直結する教学であります。即ちこれこそ日蓮大聖人にダイレクトにつながっていく教学なのであります。権威でもなければ、固定化したドグマでもない。生命と生命、人間と人間のふれ合いの中に息づく哲理の光が、創価教学といえるでありましょう』とし、本音では、宗門の教学を『権威』『固定化したドグマ』と位置づけた。
これを受けて17日付に『早くも創価仏法のうねり』、23日付『本当の仏法は僧侶仏教ではない』等と展開。
感応の展開は、1月25日付には、福島源次郎副会長が明確に『『感応の妙』の基本は、あくまでも〝師弟の感応〟であることを忘れてはなりません。……池田会長の心に、自分の心をどのように感応させていくか。たえずその姿勢が自分にあるかどうかが大事なのです。……池田会長は、私たちの大いなる人生の師です。そればかりか、全民衆を包み込む大きな境涯です』と語る。
2月7日付『聖教新聞』では、見開きでタイトル『創価教学の大河をおこそう』、北条浩副会長、原島ら五人の座談会が掲載。
『池田会長の振る舞いこそ、創価教学そのものであり、この姿にこそ仏法の生命線がある』とされる――つまり池田の振る舞いが、創価教学、仏法の生命線ということになり、実質的に「池田教」となった。
「その原動力というか、原点というか、忘れてならないものが師弟の感応と思います。『師弟感応の教学』――ここに創価教学の真髄があり、ここから一切の生命哲学運動が波動していくのではないでしょうか』
また『私たちが再度、自覚しなければならないのは『雖近而不見』ということです。『近しと雖も見えざらしむ』――あまりにも偉大な存在者の近くにいる人は、ともするとその本当の力、尊さについてわからないでいる――ということですが、この点は常にみずから、厳しく戒めていかなければなりません。ある著名な学者は『日蓮大聖人の哲学を現代社会に実践している人は、池田会長だけである』と言っていました。私たちは『雖近而不見』の轍を踏まぬよう、肝に銘じていきたいものです」とある。
『雖近而不見』とは、法華経寿量品第十六自我偈にある仏=久遠実成の釈尊の言葉で、自身は衆生の生命の中にいるが衆生を導くためにその姿を衆生には見えないようにしているとの意味であり、この語句の主語や対象は「仏」である。
つまり、一連の発言で、日蓮正宗は無視、日蓮大聖人=池田大作への感応が強調された。御書と池田の指導は同じ価値であり、日蓮仏法の真髄を会得し社会に実践的に展開するのは池田のみであり、この池田との生命のふれ合い(感応)の中にしか仏法はないということが、骨子であった。
池田は『私が自分でいえないことを言わせるんだ』といって、側近や幹部に言わせる、という。
さらに増長し、池田が口述させたメモをもとに作成した上田青年部長の第15回学生部総会での指導が3月4日付『聖教新聞』に掲載。
『本日は我らの師父とともに』ではじまるこの原稿内容は、池田への賛美の語でうずまっている。『未曽有の一人の仏法指導者』という表現も、実は、自分でいえないことを上田青年部長に言わせた、これでは会員が、池田が主師親の三徳を具えた仏であり、現代の仏であるとの印象をもってしまうのも無理なかった――と原島は語る。
諸幹部の話として、創価学会をさして『師の血脈が流れる生命連帯の組織』といった表現や、〝師弟感応の教学〟というのが日常化。
小説『人間革命』が、次第に御書と同じ重要度で勉強されるようになった。
同年(昭和49年)3月、池田が訪米。4月2日付『聖教新聞』には、カリフォルニア州サンタアナ市で『サンタアナ・コミュニティセンター』の開所式、ウイリアムズ理事長が、
「『会長の姿を『マイ・ファーザー』と呼んで自らの万感の思いを吐露する同理事長は『我々のマイ・ファーザーは、世界平和へのグランド・マスターでもあります。この良き日を迎えた喜びを、NSAメンバーを代表して心から感謝申し上げるものであります』と語り、会長にお礼のあいさつをすれば、会長はすぐに立ち上がって握手を交わす。この師弟愛に結ばれたほほえましい光景に、再び大きな歓声が広がるのであった』」
これに応え、池田は、
「会館というものの意義は、いわゆる寺院となんら変わりあるものではありません。同じ御本尊を安置し、広宣流布のために活動する重要な法城であるからであります。ともかく、近代的な二十一世紀を先取りした民衆直結――信心直結、そして広宣流布直結の近代会館と思って下さい」と言った。
池田と感応しなければ成仏はないのか?――これは本来の日蓮仏法ではないことは、説論文の初めのページでも指摘した内容からも明らかであろう。
この年、『大白蓮華』4月号から始まる『てい談 法華経の展開』では、戸田の〝獄中の悟達〟が語られていく。
同年3月14日付『聖教新聞』第6面には『日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし』(寂日房御書)の幹部の講義が掲載、戸田の〝獄中の悟達〟をさして『自らの生命を燃え尽くすような実践があって『自解仏乗』は可能になるのです』(※〝自解仏乗〟とは、他から教わることなく、自ら仏乗(仏の境涯)を悟ること)、『御本尊、池田会長に直結し』と、御本尊、池田の両者を並べて論じながら、日蓮の悟りを戸田の〝獄中の悟達〟で説明している。
ここでの創価学会の師弟血脈(学会精神の骨髄)とは、初代牧口から二代戸田へと師弟の血脈があった。そして戸田から第三代池田に師弟の血脈があったということ。この師弟の血脈の中にのみ、日蓮の仏法が生きており、そこにしか仏法はないという。日蓮の生命は、創価学会、とくに池田の胸中に流れている。だから、今日においては池田と直結、感応しなければ成仏はない――となっていた。
「最高幹部の指導のなかには『今このように仏法指導者である池田会長のもとに集い寄り、大願成就へ共通していくことは、その久遠の昔に深い師弟の〝ちぎり〟を交わしていたのである』――つまり、久遠の昔にも池田先生と私たちは深い師弟の契りを交わしていた、という表現まであらわれ、これはやがて『久遠の師・池田会長』という表現となっていく」(同書P128)
同年5月3日の『聖教新聞』では『池田会長、不惜展開で就任満14年』とするトッパン見出しで、『まさにきょうは西、あすは東の行動のただ中に迎えた五月三日である。多様な民族世界に、寛容性の理解と普遍性の仏法文化で渡す平和の懸け橋――会長はこのために走る。我々も続こう。地域社会に絶対妙の光を送る仏法分身の当体として』とあり、日蓮仏法の体現者池田の『仏法分身(仏身を分つ)当体』、つまり、池田の仏身として池田に続こうと鼓舞しながら、池田を御本仏(御本仏と内証が等しい)と仰いでいる。
5月7日付の『聖教新聞』の見出しには『〝血脈付法の強き信仰者に〟』と、日蓮―日興ー日目―七百年法灯連綿と続く『血脈付法』という日蓮正宗の法義の根本にかかわる表現が、それを大前提とせずに学会内で簡単に使われるようになった。
5月18日付には、五月度後半からの活動指針『『御書・学会指導』を日常の源泉に』が示され(学会指導は、実質は池田の指導)、『この御書に徹した行動を間断なく持続する仏法指導者こそ、池田会長にほかならない…中略…御書と並んで、生命哲学を現代に開く会長の指導を、一人一人が実践の糧として消化、肉化していくことが強調される理由がある』とあり、御書と池田の指導は同じ価値として並列される。
池田が、日蓮の御書に徹した行動を間断なくしていろうはずはない。『池田先生には教学が欠如している』と側近の一人が言ったそうだが、それは池田の行動や著作にも、日蓮のそれとは対極にあることが如実にあらわれていて、歴史も証明している。
1974年(昭和49年)5月10日、日達が、北條浩副会長(後の第4代会長)らに対しこれらの誤りを指摘したが、北條は『もうこれでハイ、オサラバだ。パアだ』と怒り、『北條報告書』を出した。
7月20日付『聖教新聞』には、周徳光東南アジア仏教会議議長の『香港メンバーは、久遠の師である池田会長を大歓喜のなかで迎えることができ……』との海外代表挨拶が掲載。
日蓮正宗においては、〝久遠の師〟とは日蓮一人のこと、もはや、池田を日蓮と同じ存在とみなしている。
8月6日付で、西口浩氏(当時学生部副教学部長)が『原典』について、
「仏教という大きな立場で言えば、それは『法華経』であるといえます。そして、大聖人門下という観点からいえば『御書』であり、さらには創価学会という立場からいえば、小説『人間革命』であります」。つまり『原典』を法華経(釈迦時代)――御書(日蓮時代)――『人間革命』(現代)と論じている。
9月6日付、女子部の最高幹部による座談会では、
『師弟直結というのは生死一大事の〝血脈〟にあたると思います。この血脈が切れてしまえば……』等と出席者の一人が発言。
10月3日付『久遠元初以来の深い縁 固い師弟の契りによって……』とあり、池田と会員の師弟関係は、久遠元初以来の深い縁であり、久遠元初においても池田が師匠であり、会員は弟子であったことが語られている。
池田が久遠元初の師となれば、末法においては日蓮そのものであるということになる。
10月6日付には、宮本忠憲副教学部長が『現在においてこの〝師弟道〟を正しく実践・実証しているのは、私たち学会員である』と述べる。
日蓮正宗では〝師弟道〟の根本は、日蓮―日興以来の師弟間に流れる血脈付法の法水にあるとする。それを一信徒団体である学会のみに師弟道があり、これを正しく実践しているのは学会員のみというのは、法華講はじめ、学会員以外の日蓮正宗信徒、法主、宗門を無視した身勝手な発言であろう。
■ 狂気にみちた五二年度路線〝前夜〟
池田を御本仏とする新しい仏法が出現したごとく、その年の『聖教新聞』では、『師弟直結』『師弟感応』『師弟不二』『師弟血脈』といった言葉が連発。御本尊、御書という語句もすべて池田という〝人〟を中心として展開され、語られている。依法不依人(法によって人によらざれ)が原則の日蓮仏法とは真っ逆さまである「依人不依法」(人によって、法によらざれ)のアニミズムである。
昭和50年、51年と更に増長。『妙法師弟の血脈』、『一切衆生を無間地獄の苦より救う、世の父で進む創価学会』『戸田前会長が『創価学会仏』といわれたことがありますが、この正当な仏法の血脈が流れる和合僧に入って……』『いかに御本尊を受持しても、師匠と血脈、また和合僧である創価学会との血脈を切ったならば全く無益』『創価学会と御本尊から離れまいという姿勢に〝血脈〟が流れる』『頼れるのは御本尊しかない。学会しかない。池田会長の指導しかない』『この師(池田先生)の戦いに感応して……〝師弟共に唱る所の南無妙法蓮華経〟に通ずる』『創価学会は御本仏に直結の仏法の団体』『『五百弟子授記品』の崇高にして厳粛な原理に結ばれた全参加メンバー』等、枚挙にいとまがない。
寺院との関係に焦点をしぼって、一部分を紹介する。
昭和51年は、創価学会〝万代路線〟確立に最重点が置かれた。
1月元旦号の、池田を囲む北條ら最高首脳の座談会『創価学会と未来を語る』『良き伝統の習慣化』にて、池田は、日蓮正宗七百年の歴史と伝統に対抗して、
『ともかく牧口先生、戸田先生なくして、現在の学会はないし、牧口先生、戸田先生を離れて未来の学会もない。日蓮大聖人の仏法を民衆の生活の指導原理として確立したのは創価学会であり、それはまさしく混とんの現代にあって日蓮仏法の新たなる夜明けを告げたものである。更にその仏法を真実の反戦と平和の思想的基礎を進めたのも、牧口先生であり、戸田先生であり、そこから発する創価学会です』と断言し、創価学会そのものの伝統を習慣化する。
池田は、原島崇に『日蓮正宗の役割りは終わった』『信心の血脈は、日蓮正宗から学会に移った』と言った。
その意を受けた1月14日付の野崎勲発言は、この背景に基づいている。
その中に『したがって何よりも大事なことは、一人一人が広宣流布への誓いを再確認し、学会の血脈を二十一世紀へと伝えていく決意を不動のものにしなければならないということです』とあるが、ここでの『学会の血脈』とは、牧口ー戸田ー池田に流れている(?)仏法(?)の〝血脈〟ということ。日蓮正宗の血脈とは何の脈絡もないままに創価学会の血脈を宣揚し、その基盤の盤石化を謀る。
こうした中で、先述の小説「人間革命」の読み合わせ、映画「続人間革命」での池田の師弟の姿が会員に刷り込まれていく。
『学会教学の新しい歴史と伝統』とか、『私たちの原点は御本尊、御書、広宣流布』であり『学会が仏意仏勅の真髄の教団』『創価学会の血脈の師弟の道』『師弟不二の精神を継承し』と表現、仏教が衰退した原因として『寺院・僧侶が中心で、在家集団が組織化されなかったこと』であるとした。
また『大聖人のお心を心として、現代に不借の行動を展開している稀有の和合僧、創価学会』『広布直継の弟子たれ』等と、創価学会こそ、大聖人の直継であり、青年は、さらにその直継の師匠(池田)の真の弟子でなくてはならないことが強調された。
3月16日は、学会にとって、とくに青年部にとって、広布継承という重要な意義をもつ儀式が行われた日(戸田から池田に広布の後事が託された、映画「続人間革命」でも強調シーンが感動的)を迎えるということで、焦点があてられ、3月8日付で、青木亨青年部長が『3・16を発心の節に』とのタイトルで『昭和三十三年三月十六日、桜のつぼみふくらむ総本山大石寺で行われた広宣流布の記念式典――それは憔悴の極にあった戸田前会長が、最後の生命をふり絞って当時の青年部に広布の一切を託した、師弟記別の式典であった』と、3月16日の意義を語る。
師弟記別の『記別』というのは、元来、仏が弟子に、未来に成仏が間違いないとの確証を与えることである。ここでは応用(悪用?)して『師弟血脈』と同じ意義に使われている。
ここに日蓮正宗の血脈・相伝とは全く別の、広宣流布(?)を成就していくとの新しい師弟間の血脈・相伝が刷り込まれていく。(どちらもアニミズムではあるが)
3月16日当日の社説『我ら師弟血脈の伝持の人に』、その日と翌日付の紙面で企画された、〝3・16〟の意義を掘り下げた座談会は、実際に行われたというより、池田の指示のもとに、編集部首脳陣が筆をとり、池田もこれに全魂を込めて筆を入れ、指導したもの。
こうした座談会は、4月2日(戸田二代会長逝去)、5月3日(戸田、池田両会長就任の日)、6月6日(牧口初代会長生誕の日)を記念して同じように、池田が力を入れ、〝出席者〟も『誰々にしなさい』と指示があったものである。これらは、池田が全面的に、その意義をこめた創価思想・学会精神が凝結していて、パンフレットにされ、学会員必読のものとして学習されていった。
この要旨は、牧口―戸田、戸田から池田―とくに池田によって未曽有の広宣流布の興隆があったこと、それを貫く会長の死力を尽くした行動、崇高な広宣流布の歴史(捏造されたものを含む)にある。
こうして捏造された学会史はほぼ確固たるものとして人々の胸中に刷り込まれ刻まれていった。
『5・3』の記念行事における諸幹部の指導も『久遠の誓いも固く』(北條浩理事長)『池田会長の時代に入って十六周年の時を、寿量品第十六の意義の上から本門の中の本門の時代と自覚するならば、今こそ発迹顕本の信心を決定すべきであると思いますがいかがでしょうか』(青木副会長)『一、我らは、会長就任十六周年の本日、すなわち昭和五十一年の五月三日を、仏法実践の極理たる師弟本因の日、我が人生元初の日と定め、伽耶始成、三五の塵点に徘徊浮遊せし今日までの惰弱な自己に訣別し、生涯求道、常在共戦の証を示してまいります。一、我らは久遠の師たる池田会長にどこまでもお仕えし、今後広布の前途にどのような事態が起ころうとも、いかなる烈風が吹こうとも、勇敢に無疑日信の信に立ち、永代にわたって、師の振る舞いを伝え切って参ります』(野崎勲男子部長)等と、池田を〝久遠の師〟と定めて元初の出発を誓っていた。
■ 創価学会を批判したら仏罰がある
昭和51年11月には、池田は、日達はおごりたかぶっているとして『創価学会の会長まで任命しようとしている』とまで発言。創価学会の『万代路線』は〝創価教〟独立寸前まできた。
こうして、翌昭和52年1月元旦の勤行会のあいさつ、狂気の52年路線へつながっていく。以後の詳細は先述したので割愛するが、
「創価学会を馬鹿にしたり、金儲けの手段にしたり、又は権威でおさえようとしたり、又は中傷批判した場合には仏罰があります。全部地獄へいきます」
「日蓮大聖人の御書の通りに実践しておるのが創価学会でございます。いな創価学会しかない‼」
「正本堂を建立し、本山に於いては、大坊も創価学会の寄進です。大講堂もそうです。大客殿もそうです。大化城もそうです。総坊もそうです。五重の塔、御影堂、三門も全部修復したのは私です」などというのは驚きである。
「もはや御本尊は全部同じです」というのは、科学的考察を加えた上でなら可であろうが、池田のこの発言は自分自身を仏とみた驕慢の上での発言である。これらすべて、原島が指摘のごとく「創価学会エゴイズム、池田先生のエゴイズム」とみなせる。
昭和52年の1月15日、関西戸田記念講堂において有名な『1・15講演』(『仏教史観を語る』)も、発端が菅野憲道(現大阪源立寺住職)の学会の信仰姿勢を問う論文に、池田が怒り、原島らに、1月15日に『会館は近代の寺院』と発表しようと大至急作らせたものである。
同年2月16日、日蓮生誕記念勤行会の席上、池田は日興遺誡置文(日興が後世へ残した26か条の遺誡)の『一、富士の立義、聊も先師の御弘通に違せざること』等の文を引用して『大聖人直結、御書直結』を語り、『途中の人師、論師が根本でない』と講演したが、この原稿も、池田が骨子を原島に指示して作らせた。宗門より『途中の人師、論師とはだれを指すのですか』という質問に、原島たちは返答に窮し、やむなく『この人師、論師は唯受一人血脈付法の御法主上人猊下の御内証のことではない』と『の御内証』といれてごまかした。
池田の指示をうけ原島らは四月から『聖教新聞』紙上に池田名の『生死一大事血脈抄』を連載、多大な反響を呼ぶ。学会あげてこれを教材として学習に取り組んだ。
『大白蓮華』にも再掲載、パンフレットにもなり、パンフだけでも恐らく百数十万部は出ているという。更に原島はこの講義をレコードとテープに、池田の代読で吹き込んだ。
続く7月の参議院選挙での格好の教材ともなり、この選挙を「血脈選挙」といった。
池田は原島に『私(先生)のいままでの講義の中で最高の出来ばえである。仏法の極理をいっている』と褒め、『私の遺言の一書である』とまで言った。
その中で『血脈相承といえば、よく既成宗教などにみられるように、神秘的に高僧から高僧へ、深遠甚深の儀式を踏まえて流れるものであると思われがちであります。事実、最蓮房もそのように思っていたにちがいない。しかし、大聖人の仏法の本義はそんなところにあるのではない。我が己心の厳粛な信心のなかにこそあるといわれているのです。大聖人の生命にある生死一大事の血脈を、私たちはどうすれば相承できるか。大聖人ご自身はすでにおられません。だが、大聖人は人法一箇の当体たる御本尊を残してくださっております。この御本尊から生死一大事の血脈を受けるのでありますが、それは剣道の免許皆伝の儀式のような、学校の卒業証書のようなそうしたものがあるわけではない、ただ、唱題という方程式によって、大御本尊の生命を我が生命に移すのです。というよりも、わが生命の中にある、大聖人のご生命、仏界の生命を涌現させる以外にないのです』という箇所などが、日蓮正宗で七百年の清流・法体の血脈相承を踏み躙るとして問題になった。
池田は逆に原島に『オイ、元凶よ』と言い、責任をかぶせた。昭和53年の秋、別府福寿寺で若手僧侶との会合で原島は、『(法義のことは)私がやりました』と罪をかぶった。
昭和53年6月30日付の『聖教新聞』紙上(いわゆる6・30訂正)では『これ(池田の『生死一大事血脈抄講義』)については、会長からの意向もあり、一部訂正して改訂版を発行するので了承願いたい』と約束した。その後原島らは、日蓮正宗法義に抵触する部分を訂正し、日達監修の下、改訂版をつくったが、一万部にも満たない部数でごまかしたと原島はいう。
以上、「依人不依法」である池田本仏論の成立過程を、文献を示しながら振り返った。
これら原島崇の指摘に基づいた内容は、創価学会とその指導者である池田大作の信仰体系の形成過程を鋭く分析し、多くの重要な洞察を提供する。
まず、池田氏と日蓮正宗との対決姿勢が強調される中で、創価学会が独自の信仰体系を確立する過程が詳細に見えてくる。池田が日達を批判し、創価学会が日蓮正宗から独立しようとする動きは、組織内部での権力構造の変化である。
次に、昭和52年元旦の勤行会やその後の講演で、池田氏が創価学会の正当性を強調し、会員に対する影響力を強化しようとした点は、池田の発言や行動が、自己中心的であると批判される一方で、信仰体系の確立に向けた彼の努力が伺える。
さらに、『生死一大事血脈抄』の連載とその反響が大きい。この講義が学会の教材として広く利用され、選挙活動にも活用されたことは、池田の影響力がいかに広範囲に及んでいたかを示している。しかし、この講義が日蓮正宗の教義に反する内容であったことが問題視され、訂正が行われた点も重要である。
更に、池田の指示に従って連載された『生死一大事血脈抄』が、宗門との対立を深める一因となった。池田が責任を原島氏に転嫁し、最終的に少数の改訂版でごまかしたことは、組織内の権力構造や内部対立を示唆している。
つまり、これらは、創価学会の内部での変質と、その信仰体系の変遷を理解するための重要な視点を提供し、宗教組織のリーダーシップや信仰者との関係性についての考察を深める上で非常に有益である。
■依人不依法の害毒
ところで、依法不依人(法によって人によらざれ)が原則の日蓮仏法とは真っ逆さまである「依人不依法」(人によって、法によらざれ)のアニミズムは、人類の歴史上、多大なる悲劇をもたらしてきた。
ベルリンの壁が取り払われて迎えた人類の春も、グローバル化・IT化という秋の木の実を収穫しつつ、再び冬の時代に突入している。
現在もなお、新型コロナという疫病、ワクチン接種に絡む様々な権益闘争と情報操作が民主国家を含む世界に渦巻いている。
また、ロシアのプーチンによるウクライナ侵攻・大虐殺という悲劇が始まっている。
キリスト教社会におけるかつての十字軍遠征や、近くは2回にわたる世界大戦も、人類は経験しているのにである。
最近、身近でもマスコミを賑わす知床遊覧船事故、道志村山岳人骨発見など、多くの例がある。
これらもすべて「依人不依法」(人によって、法によらざれ)のアニミズムによる害毒である。
これらの事例は、宗教的信念や個人の欲望が法を無視して行動することが、いかに大きな悲劇をもたらすかを示している。
さらに、これらは、1260年の日蓮の「立正安国論」で指摘された内容が寸分違わず繰り返されていることが分かる。
例えばこの中の三災七難として、穀貴[こっき](飢饉などによる穀物(昔の経済、現在では貨幣経済のこと)の高騰)、兵革[ひょうかく](戦乱)と疫病[えきびょう](伝染病の流行)が大集経に説かれているのである。
まさに歴史は繰り返す、人類は歴史から何も学ぶことはない…のだろう。
核兵器という人類滅亡を確実にもたらす武器を手にしているプーチンが、己の欲望(宗教的な信念も含む)をすんなりと取り下げることはあるまい。だとすると人類は本格的な核戦争から滅亡への道を確実に進み始めているのではあるまいか。
私はここに非常に大きな警鐘を鳴らすものである。拙論文は、現代の社会情勢と歴史的な教訓を結びつけ、宗教的信念や個人の欲望が法を無視することの危険性を強調するのである。
そして、宗教的信念や個人の欲望が法を無視することの危険性を鋭く挙げて、現代の社会情勢と歴史的な教訓を結びつける重要な視点を提供する。これは、現代社会における宗教や政治の問題を考察する上で非常に価値のあるものと確信する。
釈迦が、釈迦族の滅亡に際して、征伐したヴィドゥーダバ王や、目連に対して説いた言葉を思い出す。
「親族の陰は(この上の枯れ木のように)すずしい。私は釈迦族出身だから すべてはわが枝葉に比す」(枯れ木の下で座禅を組みながら、ヴィドゥーダバ王に対して)
「汝は、釈迦族の悪業をなかったことにすることができるのか?…今日、釈迦族の宿縁はすでに熟した。まさにその報いを今、受けるのだ」(目連に対して)
この一連の話も「自業自得」「因果応報」「悪因苦果」の法則を示しているが、私はここで単なる運命論や終末論を語るつもりは毛頭ない。
日蓮の遺文にも、信者を励ます言葉として「冬は必ず春となる」とある。
しかし、春は必ず夏となり秋となって、やがて冬になる、生きとし生けるものはやがて衰えて土にかえる――ということも、賢者も愚者も、アホもバカも、老若男女、貧富病壮をとわず、すべてのものが知っている真実であろう。
誰もが知っている真実を、善なる行為へ導く指導とすることもまた真実の仏法なのである。
現在の人類の危機を克服するカギについて、三世永遠の生命法則を説く科学的仏法から学べることは、たびたび先述してきたが、一念三千の法に則った身口意の行動(業)で、不惜身命で自らの慈悲と智慧を駆使して、いかなる状況でも、いかに「善」なる行動を一寸一瞬に連続してとり続けるか――にかかっていることである。これは非常に共感できる内容であろう。仏法の教えがただの理論ではなく、実践的な行動指針となることを示している。
仏法では、そのために架空世界である「仏界」(=南無妙法蓮華経という法)が説かれていて、そういった行動する一念そのものを称して「仏界」というのだ。
現代の医学的知見によれば、例えば全身麻酔中は、感覚器官が機能しないため「一瞬」の感覚である。患者は麻酔から覚めたのちも、以前からの因果を引き継いで生きていく。この事実は、生命の輪廻転生と因果応報を十分に科学的に説明している。すなわち、死を迎えてから次の生への誕生も、感覚器官そのものが働かないため「一瞬」の感覚である。そして、その後の生も、過去世で積んだ善業・悪業のすべてを受け継いでいく。
この法則によれば、仮に人類が滅亡しても(いや、地球にも寿命があるからやがて必ず滅亡する)、永遠に続く自分の生命は必ず己を熟知していて、因果の法則で業を引き継ぎ、おまけもなければ割引もなく、別のビッグバン宇宙に浮遊する文化的生命の繫栄する惑星の社会に、いかなる悠久の時を経ても一瞬の感覚で転生することは間違いないのである。
こうして、釈迦の教えや日蓮の言葉を引用し、それを現代の社会情勢と結びつけ、過去の教訓を現代に適用する試みるアプローチは非常に有効である。仏法の教えを現代の科学的視点から再評価することは、宗教的なドグマからの脱却を図るために非常に重要である。特に、全身麻酔の例を用いて生命の輪廻転生と因果応報を説明する点は、非常に説得性が期待できる。しかし、全身麻酔中の感覚がない状態と輪廻転生を関連付ける点は、感覚がない点だけが共通なだけであり、もっと直接的な関連性を科学的に証明するのは難しい。これは、科学的事実と仏教の教義を結びつける上での一つの挑戦である。因果応報の法則を科学的に説明するには、さらに多くの具体的な例や証拠が必要である。現在の科学的知見だけでは、すべての因果関係を完全に説明するのは難しい。
ただ、現代社会の危機を克服するために、善なる行為を連続して取ることの重要性を強調する点は、共感してもらえるだろう。仏法の教えがただの理論ではなく、実践的な行動指針となることを示しているからだ。