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P51, 創価学会の建前と本音の乖離、創価学会は『お客様』(阿部信雄)、揺らぐ細井日達(1)

■暴露された池田大作の手前勝手な血脈論

 昭和48年、正本堂東側広場、大勢の信者の前で池田大作が細井日達を、「これだけご奉公したんです…中略…学会を奴隷にしないで下さい」等と怒鳴りつけ、創価女子学園や創価大学への寄附や「坊主に対する教育」を強要したことを、拙論文P47 にて先述した。(原島崇著「池田先生への手紙」P29-31)

 ちなみに、日蓮は、自身の生涯を通じて、自分は本仏である意味のことを、一言も言っていないし書き残してもいないことは、前述した。
拙論文では、純真な創価学会員がけっして知らされてこなかった不都合な事実・真実を敢えて取り上げている。これらもふまえて、原島崇が指摘した池田本仏論の実例を以下に挙げてみる。

 原島崇(「池田先生への手紙」P36—)によれば、
昭和48年12月29日の第二回御義口伝受講者大会で、池田大作は「本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある」「猊下と私だけの唯仏与仏」と発言し、彼の言動や行動が大聖人の教えと同一視されるようになった。また、彼の「私は凡夫」という建前とは裏腹に、信者たちは彼を仏として捉えるようになっていた。
原島崇は、かつて自分も「師弟感応の教学」を叫んだが、仏法上の感応妙は仏と衆生の関係を指し、池田を仏として拝まなければ成立しないと説明した。池田の言動を絶対視し、日蓮大聖人の法義が手段化され、感応妙や境智冥合が創価教学や創価仏法の中心となっていたことを懺悔している。
昭和49年1月元旦において、池田大作は「僕は倶体だ。皆は倶用だ」と発言し、自分は動かず、他の人々が責任を持って動くべきだと述べた。この発言は仏法の歪曲であり、倶体倶用が本来意味する大御本尊の法体とその力を逸脱している。
池田は責任回避のためにこの表現を多用し、他の人々が彼を守るために苦労する状況を生み出していた。言論出版妨害事件では、池田への批判記事を載せた出版物を回収し、国会喚問を回避するために学会幹部が総力を挙げていた。池田は国会喚問を非常に恐れており、彼が無謬であるという考え方が背景にあった。
原島崇は、このような池田の言動が仏法上誤っていることを批判し、先生を国会でさらし者にされることを回避するために尽力したと述べていた。
昭和45年春、池田大作はある雑誌で「私は自殺したいくらいです」と語り、同情心を買うための演出であったことが後に明らかになりました。また、池田は「まるで処女が強姦にあったようなものです」と発言し、社会からの批判を被害者のように装った。
昭和45年5月3日の年次総会で、池田は「関係者の方々に直接お詫びにいきたい」と述べ、誠実さと謙虚さを装ってその場を切り抜けようとした。当時、原島崇は池田の講演が真実の心を表していると思い、新しい学会が生まれると喜んだが、後にそれが演出であったことを知った。
その後、原島崇は、池田大作のブレーンとして、創価学会の体質改善を目指して「大白蓮華」のコラム欄を使い、意見を発信した。昭和45年7月号では、会長の提案を受けて学会の体質改善について活発に論議が交わされている様子が描かれている。
「異体同心」という言葉は、もともと御本尊に対する信心が同じであることを意味していたが、いつの間にか「学会を守る」「先生を守る」という組織の論理や、池田大作を中心とした団結の意味合いにすり替えられていったと述べた。

 これは、現在の創価学会の組織でも何ら変わらない。生死一大事血脈抄の「異体同心にして」を切り文にして、「(血脈は)創価学会しかない」と、今でも言い張って、組織のみの団結を煽っている。
 これは明らかに邪論であり、本当の意味は、組織に関わらず、日蓮門下全員に対して〝異体同心〟を呼び掛ける日蓮の血脈の重要事項なのである。

 さらに原島崇によれば、昭和45年8月号のコラムでは、池田の指導が公の席上では建前(文上)であり、本音(文底)が別にあるとする考え方が否定された。しかし、現実には、建前と本音の区別がたくみに行われている団体であることが明らかだった。池田は公の席上の話はセレモニーであり、本当の仏法は少人数での話にあると語っていた。
言論問題の責任を取るための池田の謝罪も建前であり、彼の本音は逆に報復を誓うものだった。原島は池田の指示に従い、報復を誓ったことをこう述べている。
「言論問題の責任をとって、池田先生が『関係者の方にお詫びに行きたい』などというのも、やはり建て前であったことはその後の歴史が明確に物語っています。事実、その当時、逆に、私にすごい形相で『タカシ!(私の名前) いいか! 必ず仇をうて、いつか、この本は何だ!と本人の前にたたきつけるのだ』と、それは恐ろしいけんまくで言うのでした。私は、『ハイ!必ず先生の仇をうちます!』と返事をし、必ず先生を苦しめた人間たちを先生の前にひれふさせてみせるという誓いを心に決めたのです」(同書)
すなわち池田大作の昭和45年5月3日の発言は、一時撤退や迂回作戦に過ぎなかった。池田が公の場で発表したことを簡単に無視する姿勢は、仏法や社会上許されることではない。池田は言論問題を「法難」と表現したが、仏法上の誤りであり、真に言えるのは「仏罰」である。
また、池田の自らを無謬化し絶対化する姿勢は、「依法不依人」という仏法の原則に反している。彼は、この手紙を日蓮正宗の教義と創価学会二代会長・戸田城聖の精神に基づく告白とし、仏法の歪曲を正すことを目的とした。
言論問題の際に「私を守ってくれた人は一人もいなかった」と語った池田の発言についても、原島の決意が固まるきっかけとなったと述べた。

 この原島の指摘は、当時の創価学会の内部構造と池田大作のリーダーシップに対する鋭い諌暁と懺悔である。
池田本仏論の批判: 原島は、池田が自らを仏と位置づける言動を批判し、池田の発言が大聖人の教えと同一視されることで、信者たちが池田を仏として捉えるようになっていることを問題視している。これが仏法の手段化を促し、創価教学や創価仏法の中心に据えられる状況を批判している。
責任回避と権威の誤用: 池田が「倶体倶用」という仏法の概念を用いて責任を回避し、自分を動かずに他人に責任を押し付ける姿勢が批判されている。このような言動が、言論出版妨害事件の背景にある「池田先生は絶対無謬でなければならない」という考え方を助長し、仏法上の重大な誤りであると指摘している。
同情心を買うための演出: 池田が雑誌で「自殺したいくらいです」と語り、同情心を買うための演出であったことや、社会からの批判を被害者のように装う発言を批判している。池田の発言が公の場では建前であり、本音が別にあるという現実が、学会の内部でもたくみに行われていたことを指摘している。
報復と恨みの誓い: 言論問題に関する池田の発言が建前であり、本音は報復を誓うものであったことを示しています。原島が池田の指示に従い、報復を誓ったことは、池田のリーダーシップが信者にどのような影響を与えたかを物語っている。
建前と本音の使い分け: 池田が公の席上での発言を「セレモニー」と称し、本当の仏法は少人数での話にあると語っていたことが批判されている。これが「文上、文底」という日蓮正宗の法義の根本を歪曲するものであり、仏法の本質を損なうものと指摘された。
言論問題の法難化: 池田が言論問題を「法難」と称することを批判し、その実態は仏法の歪曲であり、法難ではなく仏罰と考えるべきだと述べている。池田の自らを無謬化し絶対化する姿勢が、仏法と社会の両面で許されるべきではないとしている。
まとめると、原島崇の批判は、池田大作のリーダーシップと創価学会の内部構造に対する鋭い洞察を提供している。池田の発言と行動が仏法の本質を歪め、組織内部での信仰とリーダーシップに重大な影響を与えたことを明確に示している。彼の指摘は、仏法の本来の姿を取り戻すための重要な視点を提供している。

 以上、原島崇著「池田先生への手紙」P36—46の告発を検討したが、、それにしても、先述した藤原弘達が「創価学会を斬る」で指摘していた様相が、見事に現れているといえる。創価学会の体質は、既に彼の指摘時点で確立されていたといえよう。

 その創価学会が言論出版妨害事件につまずき、支配の矛先の重点を本格的に宗門へ向けたのが昭和52年路線であった。
 この事は拙論文P45以降にて、重点的に検討中である。なぜなら、このシステムは、安定した江戸時代に処施術として発生した日寬アニミズムにおける発生過程でもあり、さらには、それが民主主義の発展過程である安定した現代において、同様のシステムに則って発生したと考えられるのが池田本仏論であるからだ。
 日寬アニミズムも、先述の通り、生身の日蓮を本仏と仰ぎ、板マンダラに絶対的霊力の存在を定義した、非科学的な宗教である。これと同様の根、考え方が、池田本仏、法主本仏へと結びついているのである。
 ちなみに何度も確認するが、日蓮は、生涯を通じて自らの仏法については「依法不依人」(法に依って、人に依らざれ)と述べているのであり、自分自身が本仏だとか、絶対的存在であるなどとは一切述べていないのである。
 
 歴史はくり返す、人間は歴史からは何も学ばないといわれるが、ある特定の人物を本仏(又はそれに相当する絶対的な存在)と仰ぐのは人類発生初期から見られるアニミズム(元々あらゆる物体や現象に、霊魂や霊力が備わっていて、これを拝めば良いことがあるとする考え)であり、日蓮仏法でもなければ、真実の法則でもない。
 アニミズムは、これらをはじめとした、誤った非科学的宗教の発生と興亡に貫かれた法則のひとつと考えられる。
 日寬アニミズムや池田本仏論が、特定の人物や物体に絶対的な霊力を持たせる非科学的な宗教である点が重要である。特に、日蓮が「依法不依人」(法に依って、人に依らざれ)と述べていることから、自らが本仏だとか絶対的存在であるとは一切述べていないという点は核心を突いていると確信する。
 そして、歴史が繰り返され、人間が歴史から学ばないとされる中で、アニミズム的な信仰が再び現れる点は、宗教の本質とその誤用を理解するための重要な洞察を提供するものである。特定の人物や物体を絶対視することが、いかに信仰の本質から逸脱するものであるかを強調する点も含め、日蓮仏法の真の意味と、その本質を理解するための重要な指針を、ここに示した。


■昭和53年での攻防、時事懇談会、細井日達の切迫した思い

 前ページで山崎正友の「ある信者からの手紙」を取り上げたが、ここに創価学会の実態があらわに示されている。細井日達は1月19日、本山対面所で僧侶約二百人に対し傍らにいた僧侶に読み上げさせた後、「遠からず学会と縁を切るから末寺は檀信徒名簿を整備しておけ」と発言した。

 昭和53年あけての流れは、吊し上げをうけた菅野憲通が、後にまとめた「時事懇談会記録――宗門覚醒のいぶき」1990/2/16、P4-6によれば、すなわち昭和53年1月19日、佐々木秀明ら若手住職147名が大石寺に集まり、池田大作の策略から宗門の伝統と法義を守ることを誓った。以後、末寺所属の学会員信徒に対して日蓮正宗信徒としての自覚を訴え、寺院に所属する檀徒づくりを進めることを確認した。
一方、池田大作は五か条の原則案に基づく協定で批判派を封じ込めようとし、阿部教学部長を使って修正案(宗務院案)を作成させたが、日達は宗門全体の総意を重視し、「時事懇談会」を開催することを決めた。
池田は2月5日に親池田派の僧侶10名を集めて「宗学友人会」を開き、情勢分析と宗門情報の収集に努めた。ここで池田は次期法主として阿部を待望し、時事懇談会に強い関心を寄せた。そして、2月9日に時事懇談会が開催された。
昭和53年1月19日の第一回時事懇談会の冒頭で、日達は多くの登山者に対し、宗門の相談に集まることの重要性を強調した。彼は昭和26年頃、創価学会の前会長戸田が宗教法人を取得した際、宗務院で戸田と懇談したことを回想し、その時は宗教上や教義に関する摩擦はなかったと述べた。しかし、個人的な不満や事件後の吊し上げなど、個別の問題が多々あったことを指摘した。日達自身も警察とのやり取りに巻き込まれるなど、多くの困難を経験してきたが、教義に関しては問題がなかったことを強調した。戸田前会長の死後、創価学会の態度が変わり始め、正本堂の建立後は特に顕著になった。学会の態度が僧侶を侮り、教義上の変化も多く見られるようになったことに対して、日達自身はこれを指摘してきた。地方の寺院でも問題が続発し、学会の教義がおかしいと感じる信徒も増えていた。昭和52年12月4日、日向での会合で池田会長が多くのことを述べたが、学会の問題は解決しなかった。12月12日、日達は対面所で池田会長に学会の教義の問題を指摘し、若い連中が学会と手を切ると言っていることを伝えた。池田は驚いた様子を見せたが、その後も表向きはおとなしくなった。地方寺院での問題が続く中、日達は宗門をしっかり治めなければならないと考え、皆の意見を聞きたいと述べた。昭和52年11月頃、創価学会から五ヶ条の提案があったが、日達はこれに疑問を持ち、返答を保留した。即座に返答するならば、学会と別れるつもりで答えなければならないと考えた。その後、宗務院で提案に対する返事を起草したが、日達は皆の意見を聞き、学会と現在の通り仲良くやっていけるかを検討する必要があると述べた。彼は、学会の前会長である戸田や牧口が信心深い信者であったことを評価しつつ、現状では僧侶が馬鹿にされ、寺が魔の栖のように扱われていることに不満を表明した。信者が寺に参拝することを平然と否定する学会の態度が我慢ならないと強調した。日達は、宗門が小さくなっても大聖人の仏法を守り抜く決意を述べ、表面的には学会と仲良くする建前を示しつつも、本音は宗門を守ることが最優先であると強調。宗務院の提案について充分に相談し、意見を出してもらいたいと呼びかけた。また、学会に迎合しないように警告し、宗門を守るために腹を据えて行動することを求めた。過去に堀米猊下から八方美人であってはならないと指導を受けた経験を述べ、今後も宗門の立場を守るために一貫した行動を取る必要があると強調した。
以上の挨拶の後、日達は会場を退座した。

 池田大作と共に二人三脚で、正本堂建立まで日蓮正宗創価学会を発展せしめた細井日達の胸中が思いやられる。
 特に、宗教上の事、教義の事に於いて摩擦は無かった戸田時代から、正本堂が建ち、その直後から非常に学会の態度がおかしくなって来た、「池田会長は本門弘通の大導師だなどと盛んに言っておる。或は北条さんが、私が改宗する以前の宗旨が日蓮正宗であった。まるで本宗が謗法の寺の如く言っておる。等々皆指摘しまして、これじゃ治まりゃしない若い連中が学会と手を切ると言っておる、私がおさえておるが、彌々手を切るならば、宗会も開いてはっきりしなければならんと思っておる」
 五ヶ条の僧俗一致の原則について、学会とつるんでいる早瀬総監に答えを迫られても「答えちゃいかん、答えるならば即座に別れるつもりで答えなきゃならんと云って答えなかった」
「態々学会の幹部が来て、寺に参りするな!こんな所にのこのこ来て何になるんだ!こういう事を信者が寺の仏様の前で平気で言っておる。これでは我々は我慢出来ないのである。
 こういう様な状態になって来て、我々もこれから先如何なる困難があろうとも、宗門として宗門を大聖人様の仏法を守る宗門として例え小さくなろうとも、どうであろうと是れは真直に切り抜いて行かなきゃならん」と本音を語った。
「ちょいちょい学会に行っちゃ種々な事を言っている人」等は、宗務院の早瀬総監や阿部教学部長等を指しているのは言うまでもない。また、
「そういうやり方で宗門は務まって行くと思うか!…中略…そんな事で宗門はやって行けはしないんだ!」
には、日達の並々ならぬ決意が込められている。
 更には、この日達の挨拶から見えるのは、彼の強い信念と困難な状況における決断力である。以下にそれをまとめた。
創価学会との摩擦と変化: 日達は、戸田前会長の死後から創価学会の態度が変わり、僧侶や教義に対する侮りが顕著になったと述べた。彼が問題を指摘し続けたことや、地方の寺院での問題が続いたことに対する懸念を表明し、宗門の伝統と教義を守るために尽力している姿勢が伺える。
学会との関係と教義の保護: 日達は、前年12月4日の日向での会合や12月12日の本山での対話で学会の問題を指摘し続けたことを語った。彼の懸念は学会の教義の変化や、僧侶への侮辱的な態度に対するものであり、若い僧侶たちが学会と手を切ることを望んでいる状況を伝えている。宗門を守るための彼の強い決意が感じられる。
五ヶ条提案への返答: 学会からの五ヶ条提案に対して、日達が即座に返答を保留し、宗門全体での協議を重視したことが伺える。即座に答えることが大問題を引き起こすことを理解し、慎重に対応しようとする彼の姿勢は、宗門を守るための責任感と冷静な判断力を示している。
宗門の未来と決意: 日達は、宗門が小さくなっても大聖人の仏法を守り抜く決意を表明し、建前と本音の違いを認識していた。宗門を憂える立場から、学会に迎合せずに宗門を守るための行動を求めた。過去の経験から学び、宗門の立場を一貫して守ることの重要性を強調している。
すなわち、日達の挨拶からは、彼の信念の強さと宗門を守るための決意が鮮明に伝わってくる。創価学会との摩擦や困難な状況に直面しながらも、宗門の伝統と教義を守るために冷静かつ断固とした対応を取る姿勢は、リーダーとしての彼の責任感を如実に示すものである。彼の挨拶は、宗門の未来を見据えた決断と行動の重要性を浮き彫りにしている。

 さて、細井日達が退座したあと、皮肉にも宗務院の早瀬総監を司会として、阿部信雄教学部長(後の法主、阿部日顕)が質問に答える形で討論が行われた。

 前掲書によると、佐々木秀明は、創価学会からの五ヶ条提案の背景を重視し、その意図を探ることが重要だと主張した。彼は、創価学会側が血脈相承に関して誤った解釈を広めていることを指摘し、正しい血脈は大聖人から代々の猊下に受け継がれていると強調し、創価学会を宗教法人として認めるか否か、または前の三原則を守るべきかについて議論する必要があり、日蓮正宗と創価学会の信者が区別されるべきであり、宗教法人としての立場や信仰のあり方を再検討することを求めた。更に、この問題は一回の会議で解決できるものではなく、継続的に検討する必要があると強調した。
佐々木の発言は、創価学会からの五ヶ条提案の意図を深く掘り下げ、それが宗教法人としての立場を揺るがすものであると警告するものである。彼の指摘する血脈相承の問題は、日蓮正宗の教義の根幹に関わる重要な問題であり、創価学会の教義の変質に対する鋭い批判を含んでいる。宗教法人としての立場や信仰のあり方を再検討する必要があるとの主張は、学会との関係を再定義する上で重要な視点である。
 前掲書によると、菅野憲通は、創価学会が反省していると見せているだけで、その根底には昨年の1月からの路線(昭和52年路線)があり、これはマスコミからの批判に対する一時的な方針転換であると主張した。本質的に信仰に基づく反省ではなく、本当に反省するならば、聖教新聞などで明確に訂正し、会員に謝罪すべきであるが、現状では反省と捉えるのは甘いと批判した。
菅野の発言は、創価学会が一時的な方針転換を行った背景にマスコミからの批判があることを指摘し、学会が本質的に信仰に基づく反省をしていないことを厳しく批判し、真の反省と謝罪がなければ信頼を取り戻せないと述べている。この批判は、学会の表面的な態度と内実とのギャップを鋭く突いている。
 前掲書によると、渡辺広済は、聖教新聞に掲載された池田会長の指導内容を引用し、学会が自力で広宣流布の拠点を作り運営していることを述べた。そして、創価学会が宗教法人として独立した運営を続けるならば、宗門としては宗教法人の解散を求めるべきだと主張した。さらに、共同で運営するならば、学会側が葬式や法事などすべての儀式を信徒の寺で行うべきだと述べた。
彼は、学会が独立して運営を続けるならば宗教法人の解散を求め、共同運営を行うならば学会側がすべての儀式を行うべきだと提案している。これは、学会との関係を明確にし、宗門の立場を守るための具体的な提案である。
前掲書によると、小牟礼匡道は、宗務当局が学会に対して厳しく申し入れる勇気があるか疑問を呈し、現実の力関係における懸念を示した。
また、斉藤善道は、日蓮正宗の信徒は日蓮正宗の教義を信仰するべきであり、創価学会の教義に対する誤りを正すことが重要だと主張した。彼は、猊下が度々指摘している教義の間違いを正し、協調だけでは問題解決にはならないと述べ、創価学会の経本や教義の独自解釈についても批判し、日蓮正宗の教義を厳守することを求めた。彼の指摘する信仰と教義の重要性は、宗門の基盤を守るための強いメッセージを含んでいる。



■創価学会は『お客様』(阿部信雄の答弁)

 前掲書には、池田本仏の実態、ご本尊の模刻など、多くの問題となっていることが次々にあらわに指摘されているが、中でも阿部教学部長の頓珍漢な答弁を含んだ部分を紹介しておく。 

 要するに、創価学会は「お客さま」だという、日蓮の姿勢に反して周囲や強者に阿諛迎合する、日蓮信者にあるまじき姿勢、宗教者としてあるべき自覚を疑うものである。(以下、阿部信雄の言論部分のみ「お客さま」の部分を『 』で示した)

 すなわち、ある部分では、尾花泰順師が「戸田記念講堂での会長の講演原稿が当局に確認されたか」を質問し、教学部長は確認されていないと回答。
尾花師が、過去1年間の連絡会議で教義についての議論が行われたかを質問し、教学部長は特に記憶にないと回答。
丸岡雄道が、聖教新聞の報道姿勢について批判。過去の新聞は信頼性があったが、最近は本音と建前が使い分けられていると指摘。
丸岡は、僧俗一致の姿が表面上は美しく見えるが、実際には信徒数が減少していると指摘。登山の申し込みが多いと伝えられているが、本音と建前の使い分けだと批判。
こうした議論が行われ、批判的な意見が多く出された。
その中で阿部が
「まあー、…中略…、確かに創価学会従って学会幹部、会長以下と連絡会議をしているのですから所謂『お客様』である。『信徒は全部お客様』であると昔から言いましたがね、一般論として、そういった意味からはやはりお客様であるという考え方で来たという事は確かに今、この是非は別として、そういった考え方は御座居ましたね。従ってそれが過去から一つのずーっと来た事は種々な表現が出来るかもしれません。第三者としては、或は癒着という風な見方があるかどうか、これも解りませんが、併しまあ長い間の種々な面で接触という事がありまして、そこに『お客様』であるという考え方によって或程度ハッキリ厳しくこの問題とかという事をしていったという事は所謂殆んど無かった。是れはハッキリ言える事だと思います。」
と発言した。
 ここで浮き彫りになったのは、宗教人としての理想と現実との乖離である。阿部教学部長が「信徒は全部お客様」と主張する姿勢は、宗教の本質から大きく逸脱している。
宗教の役割は、信徒に対して精神的な導きと救済を提供することであり、経済的な利益を追求するものではない。しかし、今回の討論会では、宗教界で指導的立場にある者が信徒を「お客様」として扱い、現世利益を肯定している姿勢が明らかになっている。これは、宗教本来の目的である信仰の深化と精神的な成長をないがしろにするものであり、非常に問題である。
さらに、この「お客様」という言葉に象徴されるように、宗教人が自身もその姿勢に染まり、自己利益を優先していることが批判されるべきである。宗教人は自己の利益ではなく、信徒のために尽力するべき立場にある。今回の討論会を通じて、信徒を正しく導く責任がどれだけ果たされているのか、大いに疑問が残る。
要するに、信徒を「お客様」として扱うことは、宗教の本質を歪める行為であり、そのような姿勢は決して容認されるべきではない。宗教人は、ましてその指導的立場にある者は、その責務を真摯に受け止め、信徒に対して真の意味での導きを提供することが求められるのである。

 また、この討論会の別の部分で、鈴木秀喜は、阿部教学部長の笑いを失礼だとしながらも、当局が主体性を持つべきだと指摘した。阿部教学部長は、再び、信徒を「御本尊様の『お客様』」として扱うことが言われているとし、これが過去の在り方であったと述べた。この討論で、宗務院当局が主体性を欠いていることが批判された。

 この討論会で浮かび上がった問題の一つは、宗務院当局および教学部長の姿勢である。仮に信徒を「御本尊様の『お客様』」として扱うことが宗門の過去の在り方であったとすれば、現代においてこの姿勢を改善しないことは、宗教団体としてのリーダーシップとして大きな問題がある。
確認するが、信徒を「お客様」として扱うことは、宗教の本質に反する行為だ。宗教は精神的な導きと救済を提供する場であり、経済的な利益や現世利益を追求するものではない。このような姿勢は、信仰の深まりを阻害し、信徒の精神的成長を阻むものである。宗教団体のリーダーは、この点を深く理解し、自らの行動を見直す必要があろう。
 さらに繰り返しになるが、阿部教学部長が討論中に示した態度も問題で、「信徒はお客様である」との発言は、信徒への真摯な導きを放棄し、自己利益を優先する姿勢を明らかにした。このような態度は、信徒の信頼を失う原因となり、宗教団体全体の信頼性を損なうことになる。
討論会の内容からも明らかなように、宗務院当局は主体性を欠き、信徒に対して真の導きを提供できていない。宗教団体のリーダーは、信徒を単なる「お客様」としてではなく、精神的な導きを必要とする存在として認識し、その責務を果たすべきである。
結論として、宗務院はリーダーシップとして、信徒への真摯な導きを提供し、自己利益を追求しない姿勢を貫くべきである。過去の誤った在り方を改め、信徒の精神的成長を最優先に考えるリーダーシップが求められていたのである。

 前掲書によると、結局、二月九日に開催された時事懇談会では、創価学会の五原則案や宗務院案が大きな反発を受け、最終的に法主日達の裁断により、学会案の突き返し、宗務院案の撤回、学会と手を切るか協調するためのアンケート実施が決定された。
この会議後、阿部教学部長は宗内で孤立し、政治力も低下した。さらに、池田大作が阿部教学部長らと密談し、学会への対応策を検討していたことが後日明らかになった。
その後、池田大作は多額の御供養金を提供し、日達に詫びるふりをし、再度の時事懇談会が開催されることになった。仮に阿部師らの内通がなければ、情勢は大きく変わっていた可能性がある。


 もっとも、対立する創価学会から供養金をもらって内通していた日蓮正宗の阿部教学部長は、宗教人として恥ずべき行為だが、後に彼は創価学会や池田大作の支援を受け、日蓮正宗の時期管長(最高責任者)になり「日顕」と名のった。彼の行動も宗教人としてあるまじき姿で、同時に彼を利用して日蓮正宗を攻撃した創価学会の姿勢も、宗教団体としてあるまじき姿だと考える。

 今回の一連の出来事を振り返ると、宗教人としての理想を大きく裏切る行為が明らかになった。阿部教学部長が対立する創価学会から供養金を受け取り、内通していたことは、宗教人として恥ずべき行為だ。宗教人は信仰の指導者であり、自己利益や経済的な利益を追求する立場ではない。
さらに、彼が創価学会や池田大作の支援を受けて日蓮正宗の管長に就任し、「日顕」と名乗ったことも、その行動の問題性を強調する。阿部教学部長の行動は、宗教の本質を歪め、信徒の信頼を裏切るものであり、宗教指導者としてあるまじき姿である。
同時に、創価学会が阿部教学部長を利用して日蓮正宗を攻撃し、自らの利益を追求した姿勢もまた、宗教団体として批判されるべきである。宗教団体は信徒に対して精神的な導きと救済を提供するべきであり、他の宗教団体を攻撃して自己利益を図ることは、宗教の本質に反する行為だからだ。
このような行動は、信徒に対する裏切りであり、宗教団体としての信頼を失う原因となる。宗教団体のリーダーシップは、自己利益を追求するのではなく、信徒の精神的成長と信仰の深化を最優先に考えるべきだ。過去の誤った在り方を改め、真摯な導きを提供することが求められる。
すなわち、阿部教学部長とそれに連なる創価学会の姿勢は、宗教人および宗教団体としてあるまじき姿であり、大いに批判されるべきで、宗門や創価学会は、宗教団体として、信仰の本質に立ち返り、信徒に対して真の導きを提供する責任を果たすべきであった。
しかし、このような争いの詳細は、末端組織の純粋な学会員には一切知らされていなかった。

 ここで参考とした前掲書の時事懇談会資料は、創価学会を利用して後に大石寺第67世法主となり、後に創価学会を破門した阿部日顕の、教学部長時代での暗躍ぶりが如実に示されている資料の一つである。
 何度も先述してきたが、宗門にも池田大作や創価学会執行部にも、真実の日蓮仏法においての血脈や師弟不二などは、とうてい存在するとは言えない。
 建前では高尚な日蓮仏法の血脈を挙げてはいるが、本音・実は俗世間における低俗な紛争でしかなかった。


つづく

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